【サイト開設にあたり】熊野古道への夢と願い

熊野へ参るには紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し

広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も遠からず

熊野古道には何があるのだろう。難行苦行の道をどうして人は歩くのだろう。

自然の美しさを求める人もあれば、パワースポットだという人もある、健康のためという人もある。

私の場合は挑戦するおもしろさを知ったからだ。新しいことを知る楽しさ。出来ないと思っていたことを達成した喜び。熊野古道を歩いた感激が自信になり、世界を広げてくれた。

だから登山、歴史、そしてWebサイトについてもまったくの素人だが、やればできるんじゃないかという気持ちでこのサイトを立ち上げた。ベテラン登山者から見たらきっと危なっかしいし、極めて初歩的な失敗も多いと思うが、なんだってトライ&エラーだ。

語り部さんに「あんたガイドに向いてるかもね」と言われたとき「ええ~ガイド~?私は熊野比丘尼がいいなあ♡」と返したら「なあに言ってんだい、比丘尼は17~18歳だよ」と高度な語り部ツッコミを頂戴したが、まあ遊女に落ちた比丘尼もあったらしいし、そう一筋縄ではいかない30代の比丘尼の方がいいだろう。日本中を行脚して熊野信仰を世に広めた平安の比丘尼とは違い、現代の情報の要はインターネットだ。このツールはうまくやれば実際に会うよりはるかに多くの、遠くの人に情報を届けられる。

私の理想は“蟻の熊野詣で”の再来だ。かつてここに旅籠があった、茶屋があった、と言われるところは立地上その需要があったのだ。時代は変わっても人の歩くスピードや、道の距離や勾配はそう変わらない。熊野古道を歩く人が増えればそれに関わる人が増える。店をやりたい人もガイドになりたい人も写真家も芸術家もユーチューバ―も現れるかもしれない。紀伊半島はきっと、もっとおもしろくなるー それが私に見えた景色だった。

近年のインバウンド需要や関係機関の努力により、熊野古道を歩く人は増え続け、旅籠はゲストハウスになり、茶屋はカフェとして少しずつ増えてきた。しかし日本人、とりわけ地元の人はもっと歩いてほしい。いくら観光客ばかり増えても、お迎えするのは結局そこで暮らす人なのだ。そしていつかは歩きたいと思っている人が、実はたくさんいることも知っている。その一歩を踏み出すイメージをこのサイトに構築したい。

沖縄やスキー場などのリゾートアルバイトのように、遊びながら仕事をするということが熊野古道にもできると思う。人材不足の企業も熊野古道を売りにしてはどうだろうか。中には移住や起業する人も現れるのではないか。

それに熊野古道は登山やスポーツをやらない人も挑戦する。でも装備は登山並みに必要なことがあるし、体力が伴ってくれば山登りにも挑戦するだろう。登山ブランドやお店にとっても新規顧客になりえるのだから、もっと注目されていいはずだ。

すべて壮大な妄想、大いなる勘違い。だが、もしそうなったらと考えるのはとても楽しくてわくわくする。熊野古道には人を魅了するなにかがある。

ここでは『はじめての熊野古道』と『マニアックな熊野古道』双方をやる。『実際に歩くこと』を中心に、自分の記録、かかった費用、役に立った情報、失敗したこと、ほしかったコンテンツを、しょーもないことも交え素人目線で公開していきたい。客観的な情報サイトにしようと思ったが、それなら各自治体のページが確かだし、体験記の方が真実味と説得力があり魅力も伝えやすいだろう。

熊野古道は一つではない。過去に歩いた人に、違う道もやろうかなと思ってほしい。せっかく先人達が切り開いてくれた道なのだから、全ルートをやる強者がどんどん現れてほしい。私自身がそうなりたい。それらが私の願いであり、楽しみだ。

しかしその一方で、私は専門家ではない。熊野古道歴わずか2年のひよっこなのだからこのサイトを100%信じてはいけない。これは素人が四苦八苦する姿を描くサイトだ。詳しいことが知りたければ登山ショップや、語り部ガイド、観光協会などの関係機関に聞いてほしい。様々な人と話をした方が発見が多くおもしろいし、人との出会いも熊野古道の魅力のひとつだから。

道を整備保全してくれる関係者や地域の方々、語り部には私など足元にもおよばないスーパーマンのような方、人間的な魅力にあふれた方が大勢いる。あなたがもしそんな人たちに出会うことが出来ればラッキーだし、その優しさや知恵を存分に活かしてほしい。(※ただし道中、誰にも出会わないこともある)

そして、どんなに準備万端でも予想外のことがあるのが山であり人生というもの。ケガをしたり道を引き返すこともあるかもしれない。人に教わった情報が間違っていることもある。誰のせいにもしないことが大事だ。道は一つではないし、それがあなたの歴史になる。すべてが自己責任だというのは、それだけやりがいがあるということだ。

さあ歩こう。熊野曼荼羅の世界を。

「熊野古道へ行きたい」そう思った瞬間に、それぞれの道はすでにはじまっているのだから。