高野七口の一つ、有田龍神道を無事に失敗で終わらせた 私こと管理人。
失意で辿りついた「花圃(かほ)の里」で、温泉&ランチを楽しみ気持ちを切り替え、JR笠田駅に向かうコミュニティバスに乗車しました。歩き疲れて眠るだろうと思っていたこのバスが、思いのほか面白かったので記録しておきます。
温泉宿泊施設 花圃の里
正午、無念のゴールを果たしたあとは、花園温泉に入りトンカツ定食!
かつらぎ町花園村は高野山の南側に位置し、人口440人ほどの小さな集落(観光協会より)だそうで、山と川、キャンプ場と恐竜ランド(洞窟)のあるのどかな所。こんな山間部にひょっこり現れるこの「花圃の里」は2016年に新設された宿泊施設です。
小さいながらピカピカですし、とてもいいお湯でした。露天風呂はないけど日帰り入浴は500円です。有田龍神道をやるなら超おススメ。高野山泊じゃなくてここに前泊もいいと思います。わずか1時間強の滞在だったけど、施設すぐ目の前にスタンプがあって、それにコミュニティバスにもすぐ乗れるので安心して食事も出来ました。
この花園村からJR笠田駅までは約50分のんびりバス旅。車を停めている高野山まではそれからさらに電車を乗り継ぎ1時間。合計約2時間は遠いなぁ…車なら40分なんですが。以前は高野山へ行く路線があったようですが廃線になり、今はこのルートのみとなっています。
貸切のコミュニティバス
「どっから来てん」ドライバーが気さくに話しかけてくれます。ちなみに乗客は私1人だけです。
「白浜やで、高野山から歩いてんけど道間違えてん。まぁ恐竜ランドも気になるしまた来るわ~。」田辺弁には敬語がないと言われます。優しそうなおいやんには親しみを込めてのタメ口です。
「むちゃあーしたらあかんで、むちゃあーしたらあかん。3人ほど死んどんねんでー。」とおいやん。
「え?!そんなに!?なんでΣ(゚д゚lll)」
「嘘やけどなー、むちゃあーしたらあかんわ~。」そして続けて
「ああ、恐竜?行かんしかマシやなー。」(まじかよ、ほなむしろ行くわ)
この後もおいやんのエエ加減トークは続き、50分も乗るのに運賃150円とか安すぎやと言えば「何言うてんねん。降りるとき料金変わるねんで。」と返され一瞬真に受けます。
「ここのお湯はなぁ、下の花園温泉から運びやるんや。来る時あったやろ?あそこはもう古くなって閉めたけどなー今日でお湯も5日目くらいちゃう? ちょうどええ加減で良かったやろーまぁ冗談やけどなー。」(ビックリするし)
で、施設が新しくなって日帰りのお客さんが増えたかと聞いたら、きれいにはなったけど入浴料も前の方が安かったしどうかな~と言う。
「せっかく作ったのに、使わなもったいないなぁ。小綺麗にしすぎたとか?」
「まぁキレイっちゃあ、キレイやし?キレイじゃないっちゃあキレイじゃないし?」(どないやねん)
「じゃあ前のとこは、どんなんだったん?」と聞けば
「そやなーごちゃごちゃしとったなー。」です。(いみわからん)
おいやんの冗談と、花園村のリアル
そんなゆるーい会話をしながら花園村ののどかな山間部をくねくねとバスが走っていきます。古いけどエアコンが効いて快適です。話をしてくれるので眠くもないし退屈もしません。
「山の中で、人に出会ったか?」と聞かれたので、「ううんヘビだけ」と笑ったら
「わははヘビだけか。ニュウ〜〜っ!と滝の中から男前は出てこんかったか?」と言います。(※滝なんかない)
「残念やなぁ~まぁでも出会いはどこにあるかわからんでー。」(あるとしたらたぶん山伏)
笠田駅行きのこのバスはずっと左手に川が流れます。青く美しいこの清流は紀ノ川の源流だそう。この川も、このバスの走る道も、紀ノ川に向かうのです。主要道路もJRも紀ノ川沿いに走っていて、今も昔も人間の生活が川の流れとともあったんやなーと眺めていました。すると、おいやんがふと水害の話をはじめます。
「この辺りで水害あったの知っとるか?」
「あ、そうそう!歩いてるときに水害記念碑があったから、なんかあったんやなーて思いやってん」
「ええ!知らんのかよー!ものすごかってんで!家も人もみな流されて何百人も死んだんやで。」
「え!何百人も?!」(おいやんまた嘘ついてる?!)
「この辺は壊滅や、年寄りはよう知っとる。復興で全国から人も来たけど、今のボランティアと違って昔はめちゃくちゃやろ。そら怖かってんと~殺人も1件あったんやて言うてた。」
年寄りが知ってるっていうことは…そんな昔じゃないってこと?おいやんの話ではどうやら昭和らしいです。帰ってから検索して言葉を失いました。何百人の死者どころではありません。千人を超えています。県北部でこんな大きな災害があったなんて恥ずかしながら知らなかったのです。
Wikipedia :昭和28年 紀州大水害
死者行方不明者計1,015人、家屋全壊3,209棟、家屋流出3,986棟、崖崩れ4,005か所など、被災者は26万2千人(これは当時の県民の1/4にあたる)にのぼるという和歌山県史上最悪の気象災害となった。
そうこうしてると、進行方向にバスを待つ老夫婦が見えました。
「おっ、ほら見てみい~。アベック乗ってくるぞ~。」とおいやんがブレーキを踏みます。「○○さん、どこまで行くんな~今日はべっぴんさんが乗ったあるで~」
それからあと1人おじさんが乗ってきました。住民3人の話はイノシシとシカの農作物被害について。(おいやんが変ちくりんな相槌を時々入れます)若いときより格段に野生動物が増えた、民家から離れた山中で作物を作っても昔は食べられることなんかなかった、今はよほど山に食べるものがないんだろう、シカはどんな柵も越えて入ってくると。
3人とも笠田駅の近くのスーパーに行くそうです。30分ほど買い物したら帰りのバスに乗れるからちょうど良い、このバスがあるから助かるんだと言います。コミュニティバスは国の補助金を受けてどこまで乗っても150円。過疎と獣害、和歌山はもちろん、日本の地方が抱える問題を見たような気がしました。
次第にバスも街中に入り、スーパーの近くで停まりました。「はよ行っといでよ、10分しかないでー」とおいやんがまた冗談を言うので、おじいさんがびっくりして腕時計を確認します。(やめたって~)
さようなら、またね
無人の笠田駅はノスタルジック。おいやんのエエ加減なトークもここで終了です。
ありがとうと手を振ると「また来てよー」と日焼けした笑顔を窓から出し、見送ってくれました。
素朴なローカル旅ができて、とても楽しかった。太陽が傾いて汗ばむホーム、蝉の鳴き声を聞いているとガタンゴトンという音がゆっくり近づいてきました。あっちは九度山、次は京大阪の学文路駅、それから昨日降り立った橋本駅…紀ノ川沿いを東に電車が進みます。
つり革を握って望むのは、自分が歩いてきた山波です。歩かなければ何も知らなかった、こんなにも面白いことがあるなんて。最高にいい1泊2日の旅でした。