紀伊路もいかが?新たな熊野古道をはじめたよ!|①紀伊路130kmウォーク(布施屋~伊太祁曽)

『熊野古道紀伊路語り部の会 』主催イベント『語り部と歩く 熊野古道紀伊路130kmウォーク』に参加してきました。

全12回のコースで布施屋~稲葉根社までを分割で歩きます。県北部から田辺までのロングコースを単発はもちろん全回参加で踏破もできますよ。この紀伊路コースの特徴は、JRの電車に合わせた集合・解散で組まれていることです。車のない方でも参加できます。

あと、紀伊路って熊野古道の中でも残念ながら不人気ルート。世界遺産登録になってるのは神社などの一部で、道そのものはほとんどアスファルトです。だからこそ、何気ない景色にストーリーを見せてくれる語り部ガイド付きがおすすめ。

今回の参加で、紀伊路もすごくおもしろくて魅力的だとわかりました。県北部は人口も多いし、人気はこれからもっと増えると思います。

↓朝日新聞社さんが、動画をYoutubeに投稿してくれています!!よっ柴田会長~!

第1回 語り部と歩く 熊野古道紀伊路130kmウォーク

  • 開催日 2018.3.14(水)晴れ
  • 参加費 1,000円(資料代、ガイド代、保険代込 ※弁当各自持参)
  • コース 紀伊路(布施屋〜伊太祁曽 約7.5km)
  • 集合  9:20 JR布施屋駅

歩行記録

9:20 JR布施屋駅

▲紀伊路セット

 

白浜から電車を乗り継いでJR布施屋駅へ。第1回目となる開催です。

最少催行は10名で、語り部さんたちも初めての試みにどのくらい集まるのかなと思ってたそうです。…が、なんと70名を超す参加者ということでびっくり。同じコースを平日と日曜の2回開催するので合計130名ほどになるそうです。事務局の方、大変!

紀伊路の語り部さんのトレードマークはピンク色の帽子でとても見つけやすいです。

他の参加者に何でこの企画を知ったのかと聞くと、ラジオや地方新聞とのこと。私は県のホームページで知ったのですが、多くは和歌山市内や大阪南部からのようです。白浜から来たと言うと驚かれましたが、最終回に近づくにつれ白浜に近づきますから私の方があとあと楽ですね。

参加費を払うと紀伊路のマップ押印帳マナーカードをいただけました。手作りの資料は経費も人手もかかりそうです。A5サイズのビニールに入れ配布してくれたのですが「おお!このサイズちょうどいい」。他の熊野古道の資料も増えてきたので分類するのにぴったりです。ウォーク中も探しやすくて便利、ということで今後の熊野古道に取り入れさせてもらいました。

 

10:10 出発

 

▲布施屋

 

布施屋駅前公園という広場があり、ここで班ごとにわかれ準備体操です。

私にとって初めての紀伊路でわくわく!ですが、実はこの時まだ登山用GPSアプリを知らなかったので、ログはとれていません。残念

。そして私は和歌山県南部の生まれ育ちのため、県北部の地名や山の名前、古道情報も初めて聞く単語ばかり。なかなか覚えられないのですが、いただいた資料とフェイスブックページがすごくわかりやすいのでとても勉強になります。歩く前に見ると意味不明でも、見返すと頭に入るのがどの熊野古道も一緒だなと思います。

参加者の多くは中高年、シニア層です。登山ウェアがほとんどですが、今回はあまり勾配のないコースなのでジーンズなど軽装の方も多く見受けられました。

さて、この布施屋(ほしや)は、近くの紀ノ川が増水で渡れないときに、旅人の宿泊や食事を面倒みた『布施屋ふせや』があったためこの地名だそうです。変わった地名やなぁと思ってたらちゃんと理由があるんですね。

10:20 川端王子跡

▲川端王子跡
▲愛らしいスタンプ

 

1つ目のスタンプです。紀伊路のスタンプ帳は、押すとイラストが完成されるようになってて、ちょっと可愛い。

王子跡なのにすぐ近くがゴミ置き場になっていて収集車がやってきました。車の騒音で語り部さんの声が聞こえなくなることがありますので、よく耳をそばだてます。今回のコースは車が多く、集団行動になるため、実際の古道ではない別ルートも歩くと事前におっしゃっていました。怪我や事故がないことが一番なので仕方ないですね。

しかしこれが紀伊路の特徴でしょう。紀伊路の多くは国道や生活の道になり、人口の多い街中に吸収されてしまいました。面影を残すところや世界遺産はわずかです。その代りにアクセスが便利で、自動販売機や商店も多く、アスファルトの道は幅広い年代で歩けます

そして熊野古道であったことに変わりありません。風情や自然景観がなくてもちゃんと歴史があります。ただの住宅街に見えても、語り部さんがいると面白いなぁと感じました。

10:55 高積山と城ヶ峰

▲高摘山は左側
和歌山~海南への導き石
▲マップの汎例

 

明治時代に川端王子は高積山の上にある高積神社に合祀されていたのですが、戦中の神社参拝行事が多くなり不便なため再び元の王子跡に遥拝所として建てられたそうです。高積山は城ヶ峰と連なっていて、南北朝時代には和佐山城が築かれていたそう。

この辺りの集落が和佐というそうで、高積山は北側(紀ノ川側)から見るきれいなシルエットを描くので和佐富士とも呼ばれています。「和佐歴史研究会」の方が作ってくれた看板と、和歌山市までは導き石が目印です。

 

11:05 旧中筋家(国の重要文化財)

▲旧中筋家

 

大庄屋の邸宅跡です。江戸~明治6代にわたる大庄屋で武士並みの格式を持っていたそう。昭和49年重要文化財に指定されました。この邸宅の左手、小高いところに熊野詣の人々の接待所があった歓喜寺があるそうです。

11:20 和佐王子

▲和佐王子
▲東屋があり休憩できる

 

この王子も高積王子に合祀されていた歴史があるそう。寛文年間(1661~72年)に徳川頼宣がこの緑泥片岩の碑を建てたそうです。

 

11:30 弓術の名人、和佐大八郎の墓

▲田辺にもお墓がある

 

江戸時代に京都の三十三間堂の「通し矢」に挑み、一昼夜8,133本の大記録を達成した和佐 大八郎の墓があります。夕刻18時~翌日同時刻までひたすら弓を射るこの競技。天下一となった24歳の快挙に紀州藩中が大喜びしたと聞くと、オリンピックで金メダルを取った感じかな~と想像しますが、武士の面目、諸藩の面目がかかったこの矢通しは失敗すると切腹もあったそうです。

亡くなった田辺市の浄恩寺にも墓があり、市には弓矢も保管されているそうです。うーん田辺っ子ですが知らなかった。そういえば田辺には昔から弓道場があります。きっとここの歴史とつながってたんやなぁ。しかし8,133本というと1分間に5~6本は射当てる計算…ちょっと考えられません。

 

12:10 矢田峠 徳本上人の碑

▲枝もじゃまやし、画像わかりづらいですね

 

日高郡で生まれた徳本上人の行場は、全国そして熊野古道の各地にみられます。4歳の時に遊び友達を亡くしたことに驚き嘆き、どこに行ったのかまた会えるかと母に尋ね、仏の世界を教わります。仏門に入った徳本上人はその荒行と清貧で知られ、寺を持たず念仏を唱え浄土宗を広めました。睡眠は2~3時間、横になって眠ることはなく、1日に豆の粉一合だったそうです。

この碑はちょっと高いところにあって、見上げる感じなので画像わかりづらいですが丸みを帯びた字で徳本文字と呼ばれています。

12:40 四季の郷公園

▲のんびりできてイイところ

 

少し遅めの昼食タイムです。広ーい園内には季節の花が咲いています。学生や子供連れの家族もピクニックを楽しんでいました。写真撮ってなかったので会のページから拝借しました。

14:00 平尾王子

▲平尾王子
▲小栗橋

 

明治までは社殿もあったそうですが、やはり合祀され今は石碑が残るだけです。小栗街道の一部でもあるそうで、この小栗橋を渡ります。

 

14:25 伊太祁曽駅

▲伊太祁曽駅のよんたま駅長
▲顔はめ看板で、同乗気分

 

三毛猫駅長のよんたまちゃんが迎えてくれます。

和歌山電鉄貴志川線のアイドルで、グッズの販売もちょっとだけあり。いちご電車がやってきて解散となりました。

▲この時間はいちご電車でした
▲内装もかわいい

 

熊野古道でこんなキュートなものに出会えるのはこのコースくらいかもしれません。みんな王子や史跡より写真撮ってました。かわいいですから仕方ないですね。

 

次回は第2回の開催ですが、あいにく参加できませんでした。というわけで第3回のレポートに続きます!