「伏見から八軒家浜まで、私を舟に乗せてほしい!」
なんの肩書きもないただの会社員が、唐突にメールをしたのは12月4日(水)の夜のこと。
上皇・法皇が歩いたルートで、丸3週間かけて熊野古道を全部歩いてみたい。スペイン巡礼の前にやっぱり熊野古道をもっとやらなければ。今年の夏ごろからそんな馬鹿げたことを思いついて色々と調べる中で、あるネット版の記事に私はたどりついた。
それは、京都から大阪への、川の参詣道が復活しようとしているという内容で、歴史復興の熱意にあふれるものだった。
→【動画あり】江戸期の「淀川三十石船」復活プロジェクト始動へ
まだ運行は実現していない、しかし何とかこの情報がほしい。出来るならこれに乗って熊野古道をスタートさせたい。それが叶わなくてもいいじゃないか。こんなに面白そうな会社があるなら話を聞いてみたい!
メールの返信は翌日の午前中に届いた。そして12月7日(金)私は特急くろしおで紀伊田辺を発つ。目指すは大阪の中之島だ。期待と緊張でノックした扉の先で待っていた、熊野古道の未来を変えるかもしれない 夢の話…!
掲載の許可をいただいたので、以下の通り記す。
(何でそうなった…あんた一体何したいんや…!?という話はこちら)
熊野街道に関するレポート
- 訪問先 一本松海運株式会社 様(大阪市北区中之島)
- ご対応 代表取締役社長 一本松榮様、営業部課長 吉田公司様
- 日 時 2018.12.07(金) 10時~12時頃
- 目 的 熊野街道を、京都から舟ではじめたいという目標のため
- 訪問者 坂本このみ
経緯、一本松海運さんについて
<一本松海運>大正時代から続く海運会社。海底ケーブル、輸送、近年はイベント等の事業を手掛け「水都大阪」のプロジェクトにも加わるなど、水の都の復活をすべく事業展開をしている。2009年には油圧で首の動くドラゴン船のイベントを道頓堀で実現させ、船上でのパフォーマンスイベントなどを数多く手掛ける。定期運航では、なにわ探検クルーズ、中之島リバークルーズなどを就航させ新しい大川(旧淀川)での遊び方を実現させている。
―参考リンク―
- 会社ホームページ 一本松海運
- 春秋限定イベント 「蘇れ!淀川の舟運」
- 平成25年度ものづくり補助金成果事例集 会社紹介PDF
会社でお話をさせていただいたあと、三十石舟をイメージした新型船「弁天」と、枚方まで春秋にイベント運行している「えびす」を実際に見せていただいた。
伏見~八軒家浜まで、来春運行できるかも?!新型船「弁天」
船外機は2つで400馬力。船体は30㎝しか沈まない設計だが、実際にエンジンを動かすためには60㎝の深さが必要とのことでやはり水深がカギとなる。
このシルバーの突起が浅瀬の運行を可能にする秘密兵器。
かつて三十石舟が人力と牛馬で引いたことからヒントを得て、エンジンを止めウインチで引っ張るとのこと。
渇水期である11月の実証実験では予想以上に川底の障害物などが確認され、またウインチを設置する許可申請も必要なことから調査中である。
屋根の天井が開いて、ステップから乗降できる。
地盤沈下で低い橋が多いそうで、橋をくぐるために屋根は自動で上下する。
60名乗り。トイレ付き。音響設備があり、マイクを使ったガイド案内も可能。
三十石舟のように、外観や内装は木船のイメージで仕上げたとのこと。
枚方~八軒家浜までを運行できる「えびす」
春・秋のみの期間限定で「蘇れ!淀川の舟運」というイベントを開催。その際に枚方〜大阪を実際に運行している屋形船風のえびすがこちら。
2019年の春も運行を予定している。河川沿いに桜が咲き人気だそうだ。画像は屋根を下ろした状態。
こちらは過去のイベント時の画像。
淀川の歴史解説、舟唄の披露、「市立枚方宿鍵屋資料館」の見学、パナマ運河と同じ仕組みの毛馬閘門など、バラエティ豊かな体験は好評を博したようだ。
このイベントのタイトルはまさしく熊野古道のキーワード『再生・よみがえり』とぴったり一致する。本記事のタイトルにもこの「蘇れ!」というワードを引用させてもらった。
今後の展開について
新型船「弁天」は2019年春の運行を目指し動いているとのこと。
えびすの春の運行はほぼ決定のようであり、枚方からであれば実現は十分可能である。第一希望はもちろん弁天で伏見からだが、えびすであれば枚方までは徒歩かカヤック等での移動を検討する。
何かあれば情報をいただけるとのこと。運行の可否には関わらず予定通り2019年春、城南宮出発で熊野参詣の計画をすすめる。
雑感と後記
かつで交通の大動脈であった淀川、その中に熊野参詣の歴史があることは社長も当然ご存じであったが、このような形で熊野古道とつながるとは思ってはいなかったようだ(そりゃそうだ)。
しかしながら本当に貴重なお時間をいただくことができた。この出会いが何を生むのかはわからないが「もっと歴史勉強せなあかんと思ってなぁ、高野山の町石道も歩いたんや。」と話してくださった気さくで穏やかな一本松社長の人柄と、若く前向きで仕事も早い吉田課長も色々教えてくださり私はとても感激した。
この話をたくさんの人に伝えなければと思った。紀伊半島の熊野古道に携わる全ての人に読んでほしいと願う。
さて、会社訪問の帰りに天満橋駅をうろついたことも大切なレポートとして記しておきたい。
京阪天満橋駅を出るとすぐ八軒家浜と呼ばれる船着き場があるのだ。ここが大阪の熊野街道のはじまりだ。
この呼び名は江戸期のもので、仁徳天皇がこの辺りを整備してからは国際交流の港「難波堀江」「難波津」の名称となった。飛鳥、奈良時代を経て上皇・法皇が熊野参詣に行きかっていた平安時代には「渡辺ノ津」と呼ばれていたそうだ。
弥生時代、大阪のほとんどは海と川の中だったのでこの港から南の上町台地を中心に文化が発展した。要はそれだけ古い!ってこと。「江戸時代なんて最近よ!」と関東の方が言っていたことを思い出した。
駅から出ると、ちょうど観光船がやってきた。
熊野古道を歩いていただけなのに、なぜか大阪の船会社にたどり着いた。
— 熊野ログ|熊野古道を歩くための情報サイト (@kumanolog) December 7, 2018
1人で八軒屋浜を眺めて、この巡り合わせと偉大な歴史に感激し心が震える。
生パスタを食べていたらボヘミアンラプソディーが流れてきた。
今日は一生で忘れられない日。 pic.twitter.com/RlWDYV7u0R
それから「川の駅 八軒家浜」で、大阪版の「熊野街道ウォーキングマップ」を探した。
この船着き場から歩き始めるのだから、何かしら置いてるだろうと思ったが…河川以外の道の情報は何もない!(聞いてもみたがやはりない)
語り部の安江さんから借りているこのマップは、大阪府道路整備課計画グループが問合せ先にはなっている。じゃあ府庁ってどこやねんと検索すると歩いて行ける場所だ。
そうだ、ここは交通の要所だったのだ。すぐそばに大阪城と役場がある。和歌山城、田辺城跡、新宮城跡、全部役場とセットやわ…やっぱり歴史的背景があるんやなぁ~。
そうして府庁4階に潜入し「このパンフレットはありますか?」と聞いてみる。入れ替わりやってきた職員の回答は、申し訳ないが在庫がないし更新もしていない、HPからダウンロードのみですとのこと。
そのHPは当然チェックしてあった。そしてそれが全然更新されていないことも。だからこそ確認しに来たのだが…やっぱりないのね。
リンク 熊野街道のMAP(大阪府歴史街道ウォーキングマップ)
では詳しい人はいないか、この辺りのガイドの会はどこかと聞くと、すぐそばの大阪城を案内される。うーんやはり期待できないがこれも調査だ。ええい出陣と観光客で賑やかな大阪城へ。
そこで緑の羽織のボランティアガイドを捕まえた。「熊野街道?この辺りがそうやで。詳しい人はおるかもしれんけど分からんなぁ。大阪城見ていく?」という答えだった。すごく残念。
大阪市内から和歌山へ向かう熊野街道なんてアスファルトの街の道。誰がよろこんで歩くの。大阪ならもっと面白いところあるでしょ。そんな物好きいないよ。そう言われるかもしれない。
でも実際に歩く人もいて、九十九王子を調べて、マップを作った人がいるのだ。相当の情熱をもって!
中辺路の会長安江さんは大手ツアーで大阪の街から熊野へ、この街道を2年かけて踏破するシリーズのガイドをしていた。
語り部さんたちは大阪へも研修で来るそうだ。「あべのハルカスの下が熊野古道だなんて住んでる人も知らないんだよ。寺や神社、仁徳天皇陵もあるしね、自然はないけどおもしろいんだよ。街とはいえ歴史は古い。」と会長は言う。
大阪の人に気付いてほしい。この道が、川の参詣道の復活とともに蘇る可能性を秘めていることを。大阪城はそりゃ面白いけどせいぜい数百年だろう、参詣道は一千年以上も遡るのだから。
これ以外にも私が「絶対に面白いからやろう」「きっとやりたい人がたくさんいる」と思ったのには、もちろんいくつもの根拠がある。
…が、長くなってきたので今日はここまで。
続き↓
2019春|京都・大阪・和歌山360㎞!熊野古道の旅をはじめます