平成最後の桜の季節、京都・大阪・和歌山までの約360㎞を歩きます!
民宿やホテルに宿泊しながら徒歩で。舟以外の乗り物は使わない。(ケガがなければ…)
京都城南宮をお詣りして、来春実現するかもしれない新型船で大阪の八軒家に着き、そしてそこからひたすら歩く!!本宮からは川舟センターへは徒歩orカヤックだ!
(ちなみにこの360㎞という数字は大体です。伏見~八軒家が38㎞、八軒家浜~本宮が234㎞、熊野川が36㎞?、速玉~那智~本宮53.5㎞)
【蘇れ!熊野古道】海運会社が見せてくれた淀川の参詣道
熊野街道・紀伊路・中辺路360㎞)を3週間で!なんでそんなことするのか
つい先日、御坊駅前の喫茶店で語り部さんたちとお茶をして、途方もないこの計画を伝えた。みなさん、こいつは一体何を言い出すんだという顔をしている。
いつもおもろい柴田会長も「唐突すぎてちょっとワケわからんけど~」とにわかに受け入れがたい様子だった。
紀伊路の会長を捕まえようと狙っていたら「なんかオモロイ話ないか〜」と会長から言われ目を爛々とさせて首を高速で縦に振ったよね。
— 熊野ログ|熊野古道360km4/1スタート! (@kumanolog) December 12, 2018
語り部さん5人、友達も巻き込んでウォーク後に夢を聞いてもらいました! pic.twitter.com/KlDSue0yaJ
この語り部さんたちが主催する紀伊路ウォークのイベントは今年の3月が初開催だった。和歌山市~田辺市130㎞を全12回で歩く分割踏破のシリーズでこの日は第8回を終えたあとだった。
これに私は1人で参加していた。若者は珍しいし、ある回では財布を忘れて借金するし、途中から友達も連れてきたりして、この子は熱心やけど変わっとるな~と思ってたはず。
その100人を超える参加者の1人が「わたし大阪の海運会社へ一人で行って三十石舟を見てきたんです」「これから京都・大阪・和歌山がつながりますよ」「全部歩きたいんです」こんなこと言い出したのだ。いやぁ私自身がびっくりだ。
しかし紀伊路についても、それ以外についても、私なんかよりはるかに熟知してる専門家たちは話が早い。超、早い。
「ほんでわたしらに何してほしいんや。」「わからないです。こんなおもろい話ありますって言いたかったんです。」
そう口にしながら、本当にわけわからんやつやなと自分で思った。ちなみに会のイベントの後にこんな時間いただくのも初めてで、本当にただの一参加者だ。たぶん頭がおかしい。
舟から始まる熊野古道!という私の思い描く夢物語についてはまだ疑問があるものの(当然です)、踏破については現実的に可能なので「確かにおもしろそうや、若けりゃやってみたいな」「旗持って振るだけじゃつまらんしな~」「ボディガードするか~」と冗談ながら、応援するお気持ちをいただけた。
それに藤白神社の宮司さんらが作ったMAPも手に入るかも…うれしい!
そんなわけで、きっとこれから色んな人に「なんで?!」と言われるので、そのきっかけをお話します。
きっかけ①語り部さんと出会って、中辺路をはじめたこと
私はこの4年間、勤め先のイベントで熊野古道に関わる企画を主催・実施してきた。
初めてサポートで同行したのは2014年10月。伊勢神宮、奈良の大台ケ原、那智大社に行くバスツアーだった。イベントに同行してくれる語り部の安江さんとの出会いはこの時だ。
安江さんはスゴイ。「あっちに虹が出るよ」と高速道路沿いに虹の出る方角を言い当てるのだ。次々と!「うわーまじでーーー!!」と大喜びした。そしてツアー中のバス内でもずーっとしゃべってる。これが私にとって熊野古道の最初の講義だった。
今年、喜寿を迎えた安江さんだが熊野古道をはじめたのは定年退職してからだという。でも大峰奥駆はもちろん、1000㎞はある熊野古道すべてを歩いており、電話をかけると「今、古座街道の下見だよ~」ってどこまで行くねん!って感じなのだ。世界遺産登録初期にほとんど1人で歩いたこの語り部は、紀伊半島すべてのガイドができる。
前向きで、いつも予定びっしり、落語家のように人を笑わせ、講演会で先生と呼ばれ、六根清浄を響かせ山伏のようになる、この元気な語り部の影響はとても大きい。(影響というか誕生日が同じなので、もはや分身!)
そして安江さんだけではない。他にもおもしろい語り部がたくさんいる!熊野古道、登山をやる人の目は輝いているし、私もそんな風に歳をとりたいと思うようになった。
中辺路をちゃんと始めよう!友達と踏破をスタートしたのは2016年5月、滝尻からだった。それから1~2か月に1回程度分割して本宮へ。赤木大日、大雲小雲。田辺から稲葉根と滝尻も歩いた。
この頃はただ歩いて美味しい物を食べる、なんちゃって山ガールだ。SNSと写真だけが記録。わからないことも多いけど中辺路は色んな意味でやさしくて、次のコースを計画するのも最高に楽しかった。
一方で、仕事としての熊野古道はものすごく労力と神経を使った。でも参加された方々の表情は、いかにこの熊野が魅力的ではるばる来る価値があるかを教えてくださった。一生に一度は熊野古道に来たかったと。そして遠方から何度も参加くださる方も出てきた。
リピーターの方も楽しめるように次はどうしよう?人は信頼されると応えたいものだ。
そして悩むほど私の視野は広がった。関東からも人を呼ぶにはどうするか?出張のついでに東京の高尾山に登ってみた。都庁近くの熊野神社、新宿十二社にも行ってみた。元々旅行が好きだったが色んな視点で和歌山の観光について考えた。
高野山、九度山、道成寺、白崎、根来寺、闘鶏神社、南方邸、藤白、トルコ記念館、城南宮、南宗寺、春日大社…色んな所へ!
安江さん、今度はどこに行きましょう!!
きっかけ②紀伊路をはじめた!
そんなわけで仕事と趣味で、なんちゃって山ガールが熊野古道にちょっと詳しい素人になってきた今年2月、和歌山県の観光ページで見つけたのは『熊野古道紀伊路語り部の会』が主催するウォークのチラシだった。
「中辺路の次は、小辺路だね!」と言われるのが私は不思議だった。そりゃ~小辺路も行きたいが日帰りが難しい場所なのだ。みんな山に行きたがるな…熊野古道は登山じゃないはずなのに。
「紀伊路は街歩き」「アスファルトと車が多い」「世界遺産になってない」
でも九十九王子も、五体王子も紀伊路沿いやん?と思っていた。
2018年3月14日、平日やし集まるのかな~と1人で申し込んだこのイベントには約70人が集まった。まじかよと思った。紀伊路って不人気コースって聞いてますけど?!
同内容で月2回開催のため、おおよそ140人。これは予想外の反響だったらしい。JRで集合・解散ができること。アスファルトで平坦な道が多く幅広い年齢が歩けること。国道・高速沿いで周辺人口が多いこと。健康への意識。潜在的ニーズの高さを感じた。
しかも歴史がたくさん出てくる。語り部がいると何の変哲もない景色にストーリーが加わる。熊楠も徳本上人も、藤原定家も上皇たちもみんな、ここを歩いたのだから当然だ。
何度か行くうちに顔を覚えてもらえたり、お菓子をくれたり、花に詳しい人が教えてくれたり、2回目以降はもっと楽しくなる。回を重ねるごとに踏破するぞ!って思ってくるのだ。
平坦なアスファルト歩いてるだけやのに「若いのにえらいね」と年長者に可愛がってもらえる熊野古道紀伊路イベントは、自尊心が高まりますので若い方にもオススメです。
— 熊野ログ|熊野古道360km4/1スタート! (@kumanolog) December 12, 2018
シリーズ企画は宣伝・集客効率がとてもいい。年間の目標は前向きになり、満足度が上がる。次回が体力的にやれるかイメージでき、安全性が高くなる。一気にやるより少しずつ回を重ねる方が知識が深まる。互いにとってメリットが大きいのだ。そしてこれは口コミにつながる。
しかしこの時点ではただ熊野古道スーパー踏破証明書がほしいと思ってただけで、このサイトを作ることも、まさか海運会社に飛び込むなんてことも考えてもなかったのだ。
きっかけ③スペイン巡礼へ!
「私もスペインへ行こう!」そう思ったのは今年2018年5月だ。
あるお客様から、滝尻から高原まで荷物搬送の相談をされたのだ。短いがキツイ坂道であること、ご本人の予定や体力を聞いて、当日搬送をしているYAMAシャトルさんに手配をした。
翌朝、彼女はとっておきのものがあると言ってサンティアゴ巡礼のクレデンシャルを私に見せてくれた。それは異国情緒あふれるカラフルな巡礼スタンプ帳!
「スペイン114㎞は巡礼道の最後の一部だけど、私はツアーで約1週間で歩いたの。本当に素晴らしい体験だった。熊野古道も歩いて、共通巡礼を達成したいと思って、その時に仲良くなった友達と明日は田辺駅で合流するの。」
この時、私が中辺路を歩いていなければ、114㎞が長いか短いかどれくらいで歩けるか想像もできなかったと思う。何しろ運動が苦手で体育の成績は5段階評価で2だし、クラブ活動はなにもやってこなかった。
でも「あれ、私もしかして114㎞だったらやれるんじゃね?」と思ったのだ。
いつか行きたいな~でもすんごいお金もかかるよな~老後かな~。漠然としたイメージがそのスタンプ帳を見て現実になろうとした。その方の希望にあふれた顔を見て、検索せずにいられなかったのだ。
私は全然知らなかった。巡礼宿アルベルゲが1泊5~10€と安いこと。食べ物など物価も安いこと(ワインも!)。治安もいいこと。バックパックなら航空券をいれても20~30万あれば十分やれること。
そして上司に相談をした。「来年9月に2週間休んでスペインに行きたい」と。うーん…とうなったが2週間なら!と約束し、応援をしてくれた。
【熊野古道×サンティアゴ】 やるぞ共通巡礼
きっかけ④高野七口と、ブログサイトの開始!
よーし体力作りだ!!と、単独で始めたのが高野七口!(こうやななくち)
本当にこれが手こずる…手こずる。以下が6月に歩いた記録です、リンクで記事に飛びます。
- 2018. 6.2 町石道20.9㎞
- 2018.6.22 京大阪道10.0㎞
- 2018.6.27 黒河道18.1㎞
- 2018.6.28 有田龍神道15.4㎞
どや、1ヵ月で4回も高野山に登ったり下りたりした私の行動力を!
しかし最後の有田・龍神道についてはなんと道を間違ってゴール(泣)
これは中辺路がいかに親切で、迷わないよう整備されているかがよくわかった経験だった。
もっとネット上に情報がほしい!各行政や保存会のサイトはあるが…実際に歩いた人のブログは少ない。あってもなかなかヒットしない。
仕事から帰って比較してたらもう就寝時間だ。高野山周辺のアクセスは難しい。日中は役場に電話する時間もない。きいいいい!
山岳の要素が強くなる高野山は、ブログよりも登山アプリの方が実記録が見られることもわかった。ジオグラフィカという面白い記録アプリも使い始めた。しかし熊野古道ウォーカーには、山岳部が書いてるようなものは専門的で難しいのだ…。
この四苦八苦が、ブログサイトを作る動機となったのだった。
きっかけ⑤徹底的にやろう!と思ったら紀伊路にアイデアが見つかった
七転八倒しながらブログを立ち上げたのは今年8月。とりあえず自分のやったこと、せっかく学んだことを書きとめたかった。もしかしたら誰かの役に立つかもしれない。私自身がほしいと思ったコンテンツ作りを人任せにせず始めてみよう。
その挑戦と冒険する気持ちの根源は、運動不足でいつも筋肉痛の私についた体力と自信。熊野古道で培った精神だった。
熊野古道を歩くためのサイトを作ろうとしています。全ルート踏破者はたくさんいるけど、素人には情報が少なくて難しいから。失敗も勉強。千里の道も一歩から。#熊野古道 #中辺路 #紀伊路 #小辺路 #伊勢路 #大辺路 #高野七口 #スーパー完全踏破証明 https://t.co/NjfYgyPQg3
— 熊野ログ|熊野古道360km4/1スタート! (@kumanolog) September 21, 2018
ダメでもともと。失敗したって死ぬわけじゃない。
そうすると、色んなことにチャレンジしたくなってきた。紀伊半島参詣曼荼羅を作りたいとか、スペインでナギの葉を配り歩きたいとか。英語も勉強せなあかん、まだ新宮~勝浦歩けてない、川舟下りも行かなきゃ、すてきなカフェも紹介したい、こうして記事がたまり続けるし、WEBサイトの管理は超難しくて半泣きやし、もうめちゃくちゃだ。
あまりにも時間がない!ブログを作って色んなことを考えているうちに、片手間じゃ無理~!と思った。
そして心の底ではスペイン800㎞をやりたいのだ。ラスト114㎞だけじゃなくて!数年にわけて分割踏破をやろうとか色々考えた。でもやっぱり全部一気にやってみたかった。
私は会社を辞める勇気がないだけだった。仕事の企画だってあくまでイベントだ。熊野古道ばかり出来ない。今の職場でしかやれないこともあるが制限がある。もっと自由にやりたい。
いつか全部歩きたい。その「いつか」はやって来るのか?やらない理由はなんだ?親も元気、独身で子供もいない、健康で丈夫。
今やろう、徹底的にやってみよう。子供の頃に読んだ椎名誠、CWニコル、植村直己、さくらももこ、エッセイや冒険家の世界にずっと憧れていたのだ。留学するお金もなかった、バックパッカーになる度胸もなかった。
でもまだ30代だ。世の中どこも人手不足、仕事なんてやりたいことやってから考えればいい。
今年7年目になる会社を辞めると上司に伝えたのは10月4日。せっかく来年の有給OKしてくれたのにごめんなさい!
そしてこのタイミングで紀伊路のイベントで見たのは井関村の絵図だった。旅籠や茶屋、人々の生活がそこにある。
これを見たときに何か腑に落ちた。人間の歩くスピードは時代が変わってもそう変わらない。やっぱり宿場の位置は決まっている。みんなが歩けばここにも、あそこにもゲストハウスや民宿ができるのかな…そうなったら面白いな~。
特に長ーいこの回のウォーク中、そんなことを考えていた。
熊野古道は文化遺産だ。そして1000年、2000年の時を瞬時に遡るタイムトラベルだと私はマジで考えている。
そうやって時空を旅すると、ずっと先の未来も旅できる気がする。王子は動き、迂回路が現れて消え、歴史は絶えず変わってきた。1000年後にここがどうなるか誰にもわからないし、今この瞬間も歴史の1ページだと熊野古道はおしえてくれた。
そうだ私がやればいい。道を整備し王子を研究して、地図を作ってくれた人がいる。すでに開かれた道を歩くのはなにも難しいことじゃない。和歌山で生まれ育ったのだ、スペインへ行く前にこれをやらなきゃ情けない。誰も読まなくてもいいだろう、平成最後の熊野詣でを記録しよう。
淀川、紀ノ川、吉野川、十津川、熊野川…大河を作ったのは小さな支流だ。名もなき旅人や山伏、歴史に名を残さなかったそれぞれのストーリーはこれからもきっと無限に続いていく。それこそが熊野古道の文化だ、世界遺産であろうとなかろうと。私も雨粒の1滴になり流れて行こう。熊野は過去・現在・未来を司る。貴賤を問わず、信不信を問わず受け入れてきた。
肩書きがないから出来ることがある。どこにも所属しないから自由に動け、利害関係がないから対等に話せるのだ。
こうして京都・大阪・和歌山の参詣道360㎞プロジェクトは、たった1人で始動した。