熊野古道の概要
熊野古道とはなにか?ざっくりいうと和歌山・奈良・三重にある世界遺産の道です。
正式名は紀伊山地の霊場と参詣道、通称を熊野古道。
その名の示すとおり霊場である熊野三山(本宮・那智・速玉)・高野山・吉野へ向かうための道。以下に大別されます。
- 紀伊路(和歌山市〜田辺市)
- 中辺路(田辺〜本宮、那智、速玉 )
- 大辺路(田辺〜那智)
- 小辺路(高野山〜本宮)
- 伊勢路(伊勢神宮〜速玉)
- 大峯奥駈道(吉野〜本宮)
世界“文化”遺産であるということ
熊野古道って、知床とか屋久島のような自然遺産なの?というと答えはNO!もちろん山あり海あり川ありで自然が最高なのは言うまでもないのですが、じつは文化遺産としてユネスコに登録されています。熊野古道を理解する上でここめっちゃポイントです。
熊野古道には様々な方がやってきます。体力に自信のない高齢者、パワースポットを求める女子、普段はアウトドアや登山なんてしない方。それは、その美しい大自然と継承されてきた『文化』があるからです。
熊野古道は人々の思いがつまった歴史と物語の遺産。なのでネイチャーガイドじゃなくて語り部ガイドがいます。その文化を知りつくした語り部ガイドと歩くことを、管理人はおすすめします。
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“霊場”としての熊野
「熊野」のクマはBEARのクマ?いえいえ、熊の出るようなルートはほんのわずか。諸説あるようですが中辺路の語り部さんによると地名の由来は「隈」だということです。意味するのは「すみ」「こもる」「谷の深いところ」など。紀伊半島の幽玄、鬱蒼とした最果ての地。
そこにあるのは「野」。野というのは平らな土地ということではなく「お墓」を意味します。熊野古道には他にも「野」のつく重要な地がありますね。
弘法大使の眠る真言密教の聖地「高野」。大峯信仰の修行根拠地である「吉野」。それが紀伊山地の霊場です。
神々の宿る地
熊野の起源は、1,500万年前(!)まで遡ります。そこでは火山活動と浸食が繰り返され「熊野カルデラ」という世界でも有数の巨大カルデラが形成されました。
気の遠くなる歳月が生み出したのは、山脈や河川、海岸などの荒々しい地形。そのエネルギーの象徴が那智の滝であり、ゴトビキの巨岩であり、湧き出す温泉でした。これらが山岳信仰、自然崇拝の祖となります。
美しいもの奇形なるものへの畏怖と感謝、そして自分もまたその自然を構成する一部分であるということを、人々は熊野に来ることで感じられたのかもしれません。自然の中を歩くことにこそ熊野古道の意味とご利益があるのです。
神仏習合 甦りを求めて
本宮・那智・速玉は熊野三社や熊野三山と総称されます。3つの山があるわけではありません。神の宿る山や信仰の対象となる場所は古来から『やま』ではなく『さん』と読まれます。(富士山、白山、石鎚山、など)
熊野三山のご利益
- 本宮 阿弥陀如来(来世浄土へ導く)
- 速玉 薬師如来 (過去世の救済)
- 那智 千手観音菩薩(現世の救済)
おっと、ここで仏様の名前が出てきましたね。熊野は神なのか、仏なのか?高野山は仏教の聖地?
これは日本の各地にも見られますが、熊野は仏教の伝来によって神社も寺も一緒になった神仏習合ワールドだと考えてください。明治の神社合祀によってその多くは失われましたが、神様も仏様もお祀りするスタイルが本来の日本文化のいいところ。
そしてこの熊野の神様・仏様は過去・来世・現世までもを救済してくれるのです。しかも相互の神様をお祀りしているので、1社でもお詣りすると3つのご利益が得られます。そんなんでいいのか?とも思いますが、とにかくそんなご利益があるなら行かなきゃ!というわけで人気があったのですね。
信、不信を問わず。浄、不浄をきらはず。
上皇や法皇などの貴族、醜い餓鬼になった小栗判官、生理になってしまった和泉式部…あらゆる人がを熊野を訪れました。神は穢れをきらうとされるのが広く常識とされていますね。しかし熊野の神々は、病気のものも、女性も、身分も問わずすべての者を受け入れます。
大勢の参詣者で列をなし「蟻の熊野詣で」と呼ばれた人気の理由がわかるような気がします。穢れ、病み、不幸であるほど甦りと救いを求めたのでしょう。
そんな熊野古道は今、世界中の人々を迎え入れています。民間人も政治家も、仏教徒もキリスト教徒も、白人も黒人も、男も女もLGBTも。
それぞれの熊野古道を
ここに書いたことは一般的な概要と管理人の解釈です。
訪れる理由は人それぞれ。歴史好き、登山、トレイルランニング、グルメ旅、スピリチュアル、女子旅、ライフワーク、人との交流、修行、観光、社会貢献。そして得る結果もそれぞれです。
上皇・法皇ほどの人がなぜ何十回も歩いたのか?ある語り部さんはその謎の一つは「健康」だったのではないかと言います。肉・魚・にんにく・ニラ・ネギを絶ち、玄米と山菜の質素な食事で1か月をかけ京都から歩くと、細胞が活性化され体が甦るのだと。それは語り部さん自身が熊野古道を歩いて、歩いて、歩いて、体感した答えです。
古道を歩いて人生が変わる人もあれば、風邪をひくだけの人もあるでしょう。熊野古道がなにかは人生観や死生観、信条などでも違います。
しかしその多様性を受け入れる寛容さが熊野古道野にはあります。あなた自身がなぜ歩くのか、カテゴライズする必要もないのです。人と一緒でなくてもいいし、何が正しいかも求めなくていいでしょう。
熊野古道とはなにか、人はなぜ歩くのか。あなたの答えを探してみてください。